
報知映画賞はスポーツ新聞が単独開催する初の映画賞として、1976年度に制定されました。
当時は映画人口の減少に歯止めがかからず、ピークだった1958年の11億2700万人から1億7000万人まで落ち込んでいました。スクリーン数も2500を割り込み、最盛期の3分の1以下に。さらに75年度は邦画の配給収入が初めて洋画を下回るなど、黄金時代を過ぎた日本の映画界は元気をなくしている時代でした。映画界をもう一度盛り上げたい-。報知映画賞はそんな邦画黄金時代を知る映画担当記者の願いから始まりました。
プロジェクトが具体的に動き出したのは75年12月から。まず新たな映画ファンを開拓するため、「報知映画賞・特選試写会」がスタートします。洋邦1本ずつ、月2回の試写会を開催し読者を招待。1年の総決算として、その年度の優れた作品・俳優を表彰することを発表しました。
同年12月17日、東京・半蔵門の東條会館ホールで開催された第1回の試写会は当時、一世を風靡したフランス映画「続エマニエル夫人」。同26日には「男はつらいよ・葛飾立志篇」が上映されました。試写会は翌76年11月まで計24回行われ、読者がもっとも優れた作品や俳優を選ぶハガキ投票も募集。読者参加型の映画賞は報知映画賞の大きな特色になりました。
第1回の選考会には、作家・池波正太郎氏、つかこうへい氏や映画評論家・品田雄吉氏ら14氏に加え、本紙映画担当記者4人が参加。3時間に及ぶ討議の結果に読者からの投票を合わせ、作品、主演男女優、助演男女優、新人、海外作品の7部門を選出しました。第10回(85年度)からは監督賞も新設。これに年によっては特別賞が加わります。
現在は「報知映画賞・報知特選試写会」を月1回のペースで開催。10月から読者投票の受け付けが始まり、そのデータを加味した選考会が11月開かれています。12月に行われる表彰式では、受賞者に賞状と賞金50万円(第16回から)、イラストレーター・和田誠さんデザインのブロンズ像が贈呈されます。
報知映画賞誕生の翌年には日本アカデミー賞もスタート。ブルーリボン賞をはじめさまざまな映画賞、また作品や俳優を表彰する映画祭が年末から年明けにかけて日本各地で開催されています。報知映画賞は、その先陣を切って発表されるため、その年の受賞者・受賞作品を占う意味でも大きな注目を集めています。